青の追憶 32

宿に戻って夕食をとっているときも普段と同じように話した。

私が席を立って部屋に戻るとき、ルースは時間を気にするように壁にかかっていた時計を見た。その仕草が少し気になったけど、知らないフリをしようとさっき決めたばかりだ。「部屋に戻って休んでるね」とルースに告げると「あぁ」といつも通りの答えが帰ってきた。

いつも部屋に戻ってからはお風呂に入って眠るだけだ。今日もお風呂に入った後、眠ろうかと思ったけどなんとなくまだ眠りたくなかった。

窓から外の様子を眺める。結構遅い時間だというのにまだ人が歩いていた。男女のカップルらしき人が通り過ぎたときルースとあの女の人の顔が浮かんだ。……今頃会っているのかな。明日の朝、普通に会話できるだろうか。変な事を言わないように気をつけないと。今日もいい天気だねーとか言えばいいか。……こんな事を考えている私ってものすごく虚しくない? あー、もう止め止め。

考えを振り切り、うーんと大きく伸びをして気がついた。……そういえばこの傷、まだ残っているのか。先日、指先につけた傷が治らないのはわかる。だけど、ハヴィスで偶然ケガした腕の傷もまだはっきり残っている。何でだろう? 私ってここまで傷の治り遅かったっけ? 指先と腕の傷を見ながら考え込む。気のせいだよね。旅をしていろいろ疲れているから治りも遅いだけよね。もしくは新陳代謝が下がっているとか。25だし。社会人になってから体力落ちているし、やけに疲れも溜まりやすい。日本に戻ったら健康の為にスポーツクラブにでも入会しようかなと思った時、部屋のドアを叩く音がした。

宿の人かな? 「はい」と言いながらドアを開けると、ルースが立っていた。

「何でいるの?」

女の人はどうしたんだろう?

「いるに決まってるだろ。こんな時間にどこに行くんだよ」

ドアを開けっぱなしにしたまま部屋の中に入ってくる。

「だって、出かけて朝まで戻らないんじゃ?」

あ、と口をつぐむ。

「……どうして俺が出かけたこと知っているんだ?」

「なんとなく出かけたのかなーと思って。当たりだった?」

「朝まで戻らない、というのは?」

そこは深く突っ込まないで欲しい。何も言えずに視線を泳がす。

「お前、何を考えているんだ?」

「別に何も……」

思わず口ごもる。

「これやる」

いきなり話が変わったと思ったら小さな布袋を渡された。

「何これ?」

「さっき、それを受け取ってきたんだ」

布袋をそっと開けて中のものを取り出す。

「ペンダント?」

花をアレンジした模様の縁取りだった。どこかで見たことあるなと思ったらユリの紋章に似ているんだ。珊瑚色に明るい橙を混ぜたような奇麗な透明な石(?)が中心に埋め込まれている。

「中心にあるのは宝石じゃなくてガラスだけどな」

「貰っていいの?」

「あぁ。サラはそういうの好きなんだろ? 昼間も熱心に見ていたし。普通のガラス細工は割れるかもしれないから買えないけど、それなら小さいし壊れないだろ」

「……ありがとう」

手のひらにのせてしげしげと見つめる。いいな、これ。セイディさん達に買っていこうかな。

「で、俺が朝まで戻らないって何のことだ?」

「え……」

その話はちょっとしにくいんですけど。このペンダントを受け取っていたのなら、私は思いっきり勘違いしていた事になる。

「えーと、そろそろ寝たほうがいいんじゃないかな。ルースもゆっくり休んで。ね」

「サラが言うまで俺は寝ないからな」

ぐっ……と言葉に詰まる。すっごい変な想像してました。って正直に言っていいのだろうか? ルース、怒りそうだな。勝手に変な想像した私がいけないんだけど、だってそういう風に見えたんだもの、と心の中で言い訳をする。あー、うー、と意味不明な言葉をボソボソと言っていたら

「怒ったりしねぇから早く言え」

なだめるようにルースが言った。

本当だろうか? でも、私が話すまでルースは引かないみたいだし……。私は怒られないといいなぁと淡い期待を抱きながら話すことにした。

「昼間にさ、細い道で女の人と話していたでしょ?」

「見ていたのか?」

「なかなか戻って来なかったから、探しにいったんだよ。ウロウロ歩いているときに偶然、ルース達の声が聞こえたから」

「そうか。で?」

「ほとんど会話は聞こえなかったんだけど、夜っていう単語だけは聞き取れたんだよね。だから、ルースが夜にあの女の人に会いにいくのかなぁと考えました」

最後はなぜか丁寧語になってしまった。様子を伺うように見ると、その先を話せ、と突き刺さるような視線が飛んできた。精神的に痛い。

「その時の雰囲気がちょっといかがわしいというか……、怪しげだったからさ。その、つい変な想像をしてしまい、ルースは朝まで戻って来ないんだろうなぁと勝手に解釈を」

「おい」

「ルースも……、男の人でしょう? その、私に言いづらい事情とかあるだろうし。たまには羽目を外して遊びたいのかなーなんて。だったらここは知らないフリをするのが大人の優しさかと」

「つまり、俺が女と一晩過ごしているとでも考えたのか?」

「そうです」

小さく頷いた。

ルースは一呼吸置いた後

「何考えてんだ!!」

怒鳴った。

「ご、ごめん。でもさ、そういう時もあるんじゃないの? って思って。普段、ルースはそういう態度見せないから、というか見せられるわけないと思うけど……。一応、私なりに気を使ったつもりだったんだけど」

「そんな気遣いはいらねーよ!」

「だよね……」

やっぱり怒られた。

 

「あの、大きな声が聞こえましたが大丈夫ですか?」

開けっ放しのドアから遠慮がちに声をかけてくる。宿の主人が様子を見に来たらしい。

「すみません、大声だして。何でもないので大丈夫です」

ルースが頭を下げながら答える。

「別にいいのですよ。お邪魔してすみません。では、おやすみなさい」

と言ってドアをパタンを閉めた。

ちょ、ちょっとドア閉めないで! この状況でルースと取り残されるのは非常に気まずい。

「サラ」

「な、何?」

「昼間会ったその女の人からペンダントを譲ってもらったんだ。自分と知人の分しか作っていなくて、売り物じゃないらしい」

「そうなんだ」

売り物じゃないのに凝っているなぁ。すごい腕だと思う。あ、でもそれだとセイディさん達の分は無理か。

「あと、余計な気遣いの件だけど」

「う……」

少し考えるような素振りをしてから、ルースはニヤリと笑った。

「そこまで心配してくれなら、サラに手伝ってもらうか」

「は? 何を?」

「想像したことをしてもらう」

え……。と私は一歩下がった。

「サラは理解があるな。男のそういう気持ちまで分かるんだから」

ルースが一歩前に出る。

「いやいや、結局私の勘違いだったから。ルースは真面目で素敵な青年だよ。私はバカだよね。こんなに真面目な人に対して変な事を考えちゃって。ルースに限ってそんな事ある訳ないじゃんねぇ」

「俺も普通の男だからな。そういう時もあるかもな」

目が楽しそうに笑っている。

「本当にごめん」

参りました、と謝る。

「サラが考えたことは案外当たっているなぁ」

「……嘘でしょ?」

いつの間にか目の前まで来ていたルースは目元を緩ませながらまだ笑っていた。

「だから、このくらいはいいよな」

腕がすっと伸びたかと思うと、身体を引き寄せられる。わっ! と思った時には、ルースの腕の中にいた。

私はルースの胸に耳を押し当てたまま動けなかった。部屋の中が静かだから心臓の鼓動がよく聞こえる。なんか怪しい事になってる? でも、そういう変な感じはしない……かな。ただのスキンシップみたいだ。

ルースはさっきから微動だにしない。私に対してこれ以上何かする気がないのだろう。口ではああ言ってもやっぱり真面目なのだ。そう思ったら落ち着いてきた。そっか気にしすぎか、とおかしくなって私が笑うと「何がおかしいんだよ?」と不満げに言う。

「ルースは真面目だよね」

「どういう意味だよ」

「もしさ、そういう気持ちになったとしても実際にはしないんでしょ? ほら、旅先だと開放的になって、なんとなくそういう事をしちゃう人もいるじゃない」

「……」

「変な想像してた私が言うのもなんだけどさ、やっぱりそういうのはちょっとね……って思う。その点、ルースは安心できるね。うん、良い事だよ。誠実が一番」

「俺が本当にそうかは分からないだろ」

なんで否定的な発言? さっき怒ったって事は俺はそんな事しねーよって意味なんじゃないの?

「違うの?」

と笑いながらルースを見た瞬間、身体がこわばった。……表情が違う。さっきはイタズラをするようなちょっと無邪気な感じだったのに、今はなんか目が真剣だ。窓から入ってくる月の光を受けた青い瞳が私を見下ろしていた。 急に気まずくなって目を逸らすと同時に少し俯く。それでも頭上から視線を感じた。

な、なんで? 会話が会話だけに妙な感じになってきた。私もドキドキしているような……。いや、ちょっと緊張しているだけだよね。それよりルース、黙ってないで何か笑える話とかしてよ、気まずいでしょ。

「風呂入ったのか?」

私の背中に添えられていた手が、髪に触れる。

「え? あ……うん。入ったよ」

どもりながら答える。

「どうりで。まだ少し濡れてるな」

声には出さなかったけど、うわぁーって思った。手が……、指の動きが! 前にもあったけど、ルースは私の髪に触れる時ものすごく優しい。というか色気がある。こちらが照れるくらい。ドキドキするどころではなくなってきた。自分の心臓が波打つように感じる。どうしたの? とルースに尋ねたいけど聞くに聞けない。

必死に冷静を装って

「ルースもお風呂に入ってもう休んだら?」

と言っても返事がない。

「ルース?」

様子をひと目見ようと視線を少し上げる。

「俺は初めて会った女にそういう事はしない」

窓を見ながらはっきりと言った。

えーと、話が戻ってる? 私が勝手に変な想像をした事にまた怒りが湧いてきてるのかも……。

「でも、サラとは今日初めてあった訳じゃないしな」

私に視線を合わせるとにっこり笑う。ルースにしては珍しい笑い方だ。

「?」

「よく考えたら今まで一緒に暮らしていて、何もなかったのがおかしいよな」

「え?」

「幸い微妙な男心も分かってくれるみたいだし」

「ちょ、ちょっと……」

「サラ」

ルースは私の耳元で囁いた。

「俺と寝るか?」

 

絶句。

 

返す言葉がないとはまさしくこの事だ。

私はあまりにも驚いて、ルースの顔を凝視してしまった。

今さっき、何考えてんだよって怒ってたじゃない。やっぱり、誰でもいいからそういう事がしたかったわけ? とグルグル考えてしまった。たぶん、赤くなったり青くなったりしていたのだろう。

「まぁ、冗談はこのくらいにしておいてやるよ」

フッと笑いながらルースが言った。

冗談? 何なの、その気合いの入りまくった冗談は。本気で焦った。多少ホッとしながらもさっきの衝撃が抜けなくて動けない。私の髪に触れるルースの手は相変わらず優しい。冗談と分かっていても、そんな仕草をされると慌てふためくのも無理はないと思う。

「このくらいは仕返しはしてもいいよな。元はといえばサラが変な想像するのが悪いんだから」

してやったり、という表情でルースが言った。

そりゃあね、発端は私がいけないんだけどそんなに私がうろたえてる姿が面白いか? ちょっと酷いんじゃないの? 口に出していえないけど唸ってしまう。

「サラは……俺がこうしてても平気なんだな」

「はい?」

平気なわけないじゃない。伝わってないみたいだけど、私の心臓結構バクバクしてるよ? ルースは何だか上の空でブツブツ言っている。

「なんかいつも俺ばっかり。納得いかねーな」

意味が分からない。

「納得いかないってどういう事?」

「え?」

「だから今さ、納得いかないって言ったでしょ?」

ルースはあからさまにヤバイという顔をした。

「俺……そんな事言ったか?」

「言ったよ」

「他は、その、何か言っていたか?」

「他? ……はないけど」

私が答えると今度はホッとした顔をする。どう考えてもおかしい。

「何か変な事でも考えてたの?」

「……そんなに変な事は考えてない。俺はサラほどエロくないからな」

「なっ! え、エロく?」

「だってそうだろ。俺があの女の人とやらしい事をしてるって考えたんだろ」

「何言ってんの!? あ、あれはストレスを発散させるには必要な事かな、とルースの事を心配した結果出た結論なんです。……ちょっと違う方向に想像を広げただけで、決してエロいとかじゃないし!」

「ストレス発散するのに、女と一晩過ごすっていう発想が十分エロいだろ。サラは大胆な事考えるんだな」

ニヤニヤ笑いながら言ってくる。く……、何か言い返さないと。

「だ、だいたいねぇ、私は黙っていようと思ったんだよ。なのにルースが話すまで動かないって言うから話したのに。そしたら怒るし。……まぁ、私が悪いんだけどさ」

「わかってるじゃないか」

「そうかもしれないけど! ルースだって俺と寝るか? なんて冗談にしてもちょっと言いすぎでしょ。そんなセリフを軽々と言えるそっちの方がずっとすごいと思うけどね」

ふんっと思いっきり言ってしまった。

その瞬間、ルースの腕に力が入った。左腕は私の腰辺りを、髪に触れていた右手はそのまま頭を包み込むと私はまた動けなくなった。どうしたの? と聞こうと一瞬考えた。だけど、何故かもういいやという気分になり黙ったままぼんやりしてしまった。……それにしてもとても温かい。だんだん頭の芯が痺れてきた。なんか……すごく気持ちいい。ふわっとした感覚に浸りながら目を閉じたとき、膝からカクンと力が抜けた。

「どうした?」

心配そうに見下ろしてくる瞳と視線がぶつかった。

「いや、あまりにも気持ちよくて力が抜けた」

「気持ちよくてって……。やっぱりサラの方がエロいな」

その言い方はやめてほしい。そもそもそういう事を女の私に言うか? 反論しようとしたら

「俺はもう部屋に戻る」

突然言われた。

「あ、うん」

「……大丈夫か?」

「何が?」

「力、抜けてるんだろ」

「もう大丈夫」

そうか、とルースは私からパッと離れる。

「明日は特に予定ないしゆっくり休めよ」

「分かった」

「じゃあな」

ルースはくるりと踵を返してドアの方へ歩いていく。

「おやすみ。あっ! このペンダントありがとう。大切にするね」

「あぁ」

怒られたり、妙な雰囲気になったり、からかわれたり……といろんな意味で濃い時間だった。まだルースに抱きしめられた感覚が残っている。私の髪に優しく触れる手の動きも。思い出すとまたドキドキしてくるからヤバイ。……私の方がエロいって当たっているかも。い、いやそんな事ない。あんな風に触れられたら絶対みんなドキドキするはずだ! 私だけじゃない、と呟きながらベットにもぐりこんだ。もう寝てしまおう。眠れればの話だけど……。

TOPに戻る