青の追憶 35

気がつくと広い大地の上に一人で立っていた。

周りに誰もいなかったけど不思議に思わなかった。それが当たり前だと思っていた。

遠くに町らしき建物が見える。何も考えずにそっちに向かって歩き出した。

歩いて、歩いて、歩いて……。おかしいな。いつまで経っても近づく感じがしない。私が歩いた分だけ、町も遠ざかっているように見える。どうして近づけないのだろう? 

ふと、思い出した。

そうだ、私は旅をしていたんだ。ルースは? アクアとレイモンドは? いつも近くにいる姿が見当たらない。

なんでみんないないの? 置いていかれてしまったの? 

急に不安になって後ろを振り向くとそこには白い像があった。

何、これ? どこかで見た事あるな。……あぁ、ハヴィス城で見たリヴィエの像だ。優しい微笑みを浮かべ、大地の上にひっそりと立っている。私が手を伸ばして触れようとしたとき、その像の足元にユラッと影が動くのが見えた。驚いて伸ばしかけた手を引っ込める。影だと思っていたそれはリヴィエの白い像を侵食していく。よく見ると真っ黒な影ではなく、赤黒い血のような色だった。

なんで? どうしてこんな色が? 

私は金縛りにあったようにその場で立ち尽くし呆然とその光景を見つめる。やがて全部が不気味な色に染まると、ピシっという音と共にリヴィエの胸元辺りから亀裂が広がっていく。

怖い。少しずつ壊れていくリヴィエの像が恐怖を掻き立てる。

逃げ出したいのに足が動かない。

誰か、誰か……。

ここには私しかいないのにそう思っていた。

亀裂が像全体に広がり、ボロボロと崩れ始めたとき、私の視界は真っ白になった。

♣ ♣ ♣

……嫌な夢。まだ心臓がドキドキしてる。ハヴィス城で見たリヴィエの像は美しさを感じたのに、さっきみた夢では恐怖の象徴でしかなかった。

小さく息を吐き、ゆっくりと目を開ける。

ふっと視線を天井から横にずらすと近くに男の子がいた。

「あ、起きた」

この子は確か……。

「水」

ぶっきらぼうに差し出される。

「……あ、りがとう」

身体を起こして水を受け取る。額や頬が濡れているから汗をかいたのかもしれない。それにしても胸の動悸がなかなか治まらないな。気持ちを落ち着けようと一気に水を飲み干して、サイドテーブルにコップを置いた。

左手の中指には丁寧に包帯が巻いてあった。今回は予想よりキツく、水晶に血を注いだ後は気を失うように眠ってしまった。指に包帯を巻かれた記憶がないけれど、ここの神官が手当てをしてくれたのだろう。

「何も聞かないの?」

「え?」

「どうして僕がここにいるのか、とか」

言われてみて気がついた。なんでこの子がここにいるんだろう? 

「えーと、君の名前は?」

「……フィオン」

「フィオン、ありがとね」

「何が?」

「お水」

そうだ、この子は私達が泊まっている宿の子だ。この間出合った元気のいい男の子。私の様子を見に来てくれたのかな。

「別に」

なんかルースとちょっと似てるわ。ふふっと笑うと「何で笑うんだよ!」と言われた。やっぱり似てる。

窓の外から女の子の楽しそうな声が聞こえる。確か

「エルシーちゃんだっけ? フィオンの妹」

「うん」

「外で遊んでるみたいだね。フィオンは一緒に遊ばないの?」

私がそう聞くとフィオンは少しだけ表情を曇らせた。

「どうしたの?」

「エルシー、あいつにばかり頼るんだ」

「あいつ?」

「……ルース。さっきもレイモンドに乗りたいってあいつにお願いしていたんだ。いつもは僕の後ろにくっついてくるのに」

レイモンドー! と女の子の声が聞こえた。ここにルースがいないのは、エルシーちゃんとレイモンドの傍についているからだろう。

「レイモンドに乗りたいからじゃないの?」

思ったとおりに言った。

「そうかもしれないけど。でも、あいつの方が背高いし、力もあるし、お兄ちゃんらしいし」

ルースは大人だからフィオンに比べて背が高いのも力があるのも当たり前の事なんだけどな。どうやらそれも気に入らないというか、悔しいみたいだ。

「フィオンは何歳?」

「9歳」

「9歳かぁ。なのにスゴイね」

「何が?」

「この間さ、エルシーちゃんを助けるために私達にぶつかってきたじゃない」

「でも、すぐ掴まった」

「ううん、そうじゃなくてさ。妹を守るために動いた所がすごいって。怖くなかったの?」

「ちょっと怖かったけど……」

「エルシーちゃん、フィオンが来たときすっごく嬉しそうな顔してたよ。あとね、ルースに頼るというかレイモンドと遊びたいだけじゃないかなぁ。今もレイモンド、レイモンドって言ってるし」

窓の外からはレイモンドの名前を呼ぶ声が何度も聞こえた。

「そう、かなぁ……」

フィオンは頬を膨らしたまま足元を見ている。

「フィオンみたいなお兄ちゃんがいたら、私は絶対自慢しちゃうなー。強くてカッコイイお兄ちゃんだって」

「本当?」

フィオンが顔を上げた。

「うん。だって本当にカッコ良かったもの。エルシーちゃんもそう思っているって」

私がそう答えると、フィオンは少し嬉しそうに笑った。なんか可愛いな。

「背もね、すぐ高くなるよ。もしかしたらルースより大きくなるかもよ?」

「だといいなー」

表情が明るくなったから機嫌は直ったようだ。私が笑っているとフィオンがハッと気がついたように私の側に寄ってきた。そのままベットに上がってくる。

「どうしたの?」

「いいから。ちょっとだけこうさせて」

と言うと抱きついてきた。温かいぬくもりが伝わってくる。このくらいの男の子ってたまに甘えたくなるのかな? ウィリーもよく抱きついてきたし。理由はよく分からないけど、まぁいっかとフィオンをよしよしと撫でた。

その時、部屋のドアが開いた。

「……何してんだよ」

ルースが眉間に皺を寄せながら言った。

「あれ? エルシーちゃんは?」

「下にいる。……で、サラ。今起きたのか?」

「ちょっと前にね」

「……フィオン」

フィオンは私の首筋に顔をうずめたままその言葉を無視した。やっぱりルースに対しては素直になれないみたいだ。エルシーちゃんがルースに懐くのがそうとう嫌だったんだなぁ。

「もしサラが起きたら、すぐ俺に知らせろって言ったよな? お前、うんって言っただろう。忘れたか?」

「知らない」

フィオンはプイっとそっぽを向く。柔らかい髪の毛が頬にあたってくすぐったい。

「お前……」

ルースは私達の所まで来ると、フィオンを見下ろしていた。フィオンにはルースの顔が見えてないからまぁいいけど、そんなに怖い顔しなくてもいいんじゃ。

「別にすぐ知らせなくても私は平気……」

「いい加減、離れろ」

ルースはフィオンの身体をグッと引っ張って持ち上げた。「わっ! 何するんだよ!」とフィオンが暴れる。

「ルース、そんな乱暴に引っ張らなくても」

「わざとだろ?」

ルースはフィオンを床に下ろしながら尋ねた。何がわざとなんだろう? 

「お前、わざと俺に知らせなかっただろ」

「別に違うもん」

フィオンはルースから視線を逸らしたままボソッと答える。

「そうか……って俺が言うと思ったか?」

フィオンの頭をこぶしで挟むとグリグリと手を動かした。これは痛そうだ。

「い、痛い! やめろよ、バカー」

両手をバタバタと動かしてルースを叩こうとするが、届いていない。

「このくらいで許してやる」

ルースはぱっと手を離した。

「いいのかよ、こんな事して。せっかく教えてあげようと思ったのに」

フィオンはこめかみを押さえながら言う。

「何を?」

「もう教えてあげない」

「お前、もう一回攻撃くらいたいか?」

ルースが両手でこぶしを作ると、フィオンは観念したように「……言うよ」と呟いた。

「ねぇ、私にも教えて」

何の話だろう? 私も聞きたい。

「ダメ」

フィオンが言った。

「なんで私はダメなの?」

「ダメなものはダメ。……これは男同士じゃないとダメなんだ」

ルースをチラッと見た後、走って行ってしまった。

「ちょ、ちょっと! フィオン!」

なんでいきなり男同士じゃないとダメなんだ。訳がわからない。

「まぁ、子供の言う事だからな。たいした事じゃないだろ。俺が聞いたら教えてやるよ」

「あ、うん」

「サラはまだ休んでろよ」

「分かった」

ルースはフィオンの後を追って部屋から出て行った。

 

休んでいろって言われたけど、寝すぎで疲れた。

窓を開けて外の空気でも……と足を床につけてよいしょと立ち上がろうとしたら、そのままペタンと座り込んでしまった。あれ? もう一度ベッドを支えに立ち上がろうとしても全然立てない。

何これ。まったく足に力が入らない。な、なんで? 寝すぎて筋力が衰えたとか? でも、たった1日か2日動かなかっただけて、立てなくなるなんて事は聞いたことない。

……とりあえずベットに戻ろう。這い上がるようにして戻ってパタンと倒れるように横になった。おかしい、私の身体。いくら水晶に血を注いだからってそんな急激に身体が衰えるわけない。

不安をこらえるように、目をつぶって身体をギュッと小さく丸める。

もう少ししたら大丈夫。今はちょっと力が入らないだけ。今までだって眠って起きたら大丈夫だった。今回も大丈夫。嫌な考えを振り切るように頭を振った。

「サラ、入るぞ」

ドアの向こう側からルースの声が聞こえた。

「う、うん。いいよ」

慌てて身体を起こす。

「フィオン何て言ってた?」

気になったので率直に聞いた。

「たいした事なかった。サラが寝言言ってたってさ」

「寝言?」

ちょっと意外だった。小さい頃も大人になって友達と旅行をしたときも寝言を言っていたよ、と言われたことは一度もなかった。といっても、寝ている時は分からないから1人の時は言っているのかもしれないな。

「そっか。で、私は何て言ってたって? 変な事言ってなきゃいいんだけど」

寝言だとしても変な事を言っていればやはり恥ずかしい。

「え? あぁ。……ナントカが食べたいとかそんな感じだったな」

「ナントカって?」

「よく聞き取れなかったらしい。知らない単語だって言ってた」

「ふーん」

アルヴィナで通じない単語って事は日本特有の食べ物だな。こちらでは一般的な単語は分かるけれど、日本独特の単語は通じないみたいた。饅頭とか納豆って言ったら、たぶん通じない。でもなぁ、寝言で言うほど食べたい物ってあったっけ? 

「寝言なんだからそんなに考えなくてもいいだろ」

ルースが言ってきた。

「でもさー、そんな事だったら私に内緒にするほどでもないんじゃない? フィオンはなんであんな事言ったんだろう」

「さあな。寝言言ってたってサラが知ったら恥ずかしがるとでも思ったんじゃないか? ガキのくせに女には優しいしな」

ちょっとだけ刺々しい言い方だ。

「ルース、フィオンはまだ子供だからね? 抑えて抑えて」

「さっきのだって絶対わざとに決まってる。ウィリーだったら無邪気なだけと思えるけど、あいつは絶対確信犯だ」

「確信犯?」

ルースは一瞬黙った後、部屋の中に置いてあった椅子を運び「いや、なんでもない」とベットの傍に置いた。

それに座ると「あー、その」と歯切れの悪い言葉を発する。

「何?」

ルースの顔を見て何事かと聞く。フィオンの事についてまだ言いたいことがあるのかな? 

「お前……、大丈夫なのか?」

キセの町でも似たような言葉を言われた事を思い出した。相変わらず心配性だなぁ。大丈夫と答えようとして一瞬止まった。忘れかけていたけど、さっき全く立てなかったのって気のせいだよね。なんていうか寝すぎで身体が目覚めてなくてちょっと足に力が入らなかっただけ……よね。

「サラ? どうした?」

「大丈夫だよ。寝すぎたせいか身体が少しダルイけど……うん、平気」

「身体もそうだけど、……精神的には?」

「精神……?」

ってストレス溜まってないかって事? 初めて出てきた言葉で正直びっくりした。ケガするなよ、とか身体の事はしょっちゅう言われていたけど、精神的な事まで聞かれた事はなかった。

「そんなに参っているように見える?」

全くストレスがないと言えば嘘になるけれど、傍から見て分かる程ヤバイ状態という自覚はない。

「いや、見えない。ただ……」

言葉が途切れ、ルースは少しだけ視線を逸らした。どうしたの? と聞こうとした時、青い瞳がこちらに向けられた。食い入るように私の目を見ている。

「今は普通に見えるな」

な、何? 何のこと? 

ルースの手が私の頬に触れたかと思うと、親指でそっと目の下を撫でられた。早業だ。まっすぐな視線から目を逸らすことが出来ないし、ルースの手を振り払うわけにもいかないし、私は硬直したまま青い瞳を見つめ返していた。それこそポカンというかボケーっというか、たぶんマヌケな表情をしていたと思う。

部屋の中は静まり返っていて、自分の心臓の音がやけに大きく聞こえた。ドクンと大きく脈を打っているのがバレているのではないか少し焦った。

ルースはいきなり立ち上がり窓側へと歩いていく。大きく窓を開けた後、私に向かってこう言った。

「今回は仕方ないな。フィオンは子供だからまぁ許す。でも、そういう状況になりそうな時は、一人の時か……俺といる時だけにしろよ」

分からない事だらけだ。今回は仕方ない、そういう状況ってどういう状況よ? といろいろ聞こうと口を開きかけた。

「いいな、サラ」

「訳わからない事が多いんだけど」

「いいから返事」

「……はい」

「よし」

とりあえず返事はしたものの、私は釈然としない。訳もわからずに何かの約束をさせられてしまったような気がする。

「あのさ、やっぱり説明してくんない?」

私が尋ねると、ルースは一瞬だけ考えるように空中を見つめた。

「あまり無防備になるなって事だな」

「はぁ……」

なんだかなー。そんなに無防備ではない、と思う。旅をするようになってから人一倍気をつけているつもりだ。ケガしないように気をつけているつもりだけど、もっと気をつけろという事でいいのかな。

「無理するなよ」

ルースが小さく呟いた。

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