青の追憶 40

夜になって雨が降り出した。

強い風が吹き荒れ、ガタガタと窓が揺れる。

「雨が強くなってきた」

窓から外の様子を見ながら呟いた。

こんな天気だから外を歩いている人はまったくいない。

宿の反対側にある家の明かりがぼんやりと分かるくらいで、村全体が雨風に包まれて暗かった。

アクアとレイモンドが休んでいる馬小屋は頑丈そうだったから大丈夫だよね。さっきも飼い葉をムシャムシャと食べていたし、今頃は二頭で寄り添って眠っているだろう。

……ルースは大丈夫なんだろうか?

さっきからその事ばかりが気になる。ケガをしたせいだとは思うけど、顔色が良くなかった。食事もいらないって言ってけど、少し食べたほうがいいんじゃないのかな。そりゃ、無理矢理食べるのはキツイだろうけど、お腹がすいたときにすぐ近くに何か食べられるものがあったほうがいいと思う。食べたくなければそのまま置いておけばいいし……。

そう思った私は、宿の人の軽食と飲み物を用意してもらってルースの所に行くことにした。

食べ物云々はただのこじつけで、様子が気になったからというのが本音だけど、このくらいの心配はしても平気だよね。

「ルース、起きてる?」

ドアをノックしてから声をかけた。

部屋の中からは物音一つしない。やっぱり眠っているんだ。

少し迷ったけど、部屋の中に入ることにした。食べ物を机に置いておくくらいなら別にいいだろう。

ドアをゆっくり開けて中に入ると、真正面に窓が見えた。雨が窓を叩いているのが分かるから、カーテンは閉めていないみたいだ。

暗闇に目が慣れてくると部屋の中がなんとなく分かってくる。

サイドテーブルには小さなランプが置いてある。その隣のベッドにルースは横になって休んでいる。

私は用意してもらった食べ物をテーブルの上において、ルースが寝ているベットに近づいた。眠っている。胸が上下に動いているのがかろうじて分かるけど、顔色がよくわからないし、ケガの様子も見えない。……ランプをつけるか。そんなに強い灯りではないから、目が覚めるってことはないと思うし。

私はサイドテーブルにおいてあったランプに灯をともした。暗かった部屋がぼんやりと明るくなる。これでちょっとは見やすくなった、とルースに視線を戻す。

え……?

ルースの顔色が悪い。さっきも悪かったけど、もっと酷くなっている。なんで? とケガをした腕を見たその瞬間、固まってしまった。

……包帯が血に染まっている。それだけではない。ベッドや洋服にもうっすらと血がついていた。

夕方に見た時から替えていない? とっさに近くのゴミ箱を覗いた。ある。包帯が捨てられている。ちゃんと眠る前に取り替えているんだ。じゃあ、なんで新しく巻かれた包帯までこんなに血に染まっているの? 恐る恐るルースの左腕に触れると、生温かく湿った感触が指先に伝わった。ゆっくりと手のひらを返すと、指先に血がついている。

……これって出血が止まってない?

ドクン、と心臓が鳴る。

あれからずっと血が流れていた? 指先とルースの顔を交互に見る。

ルースは固く目を閉じたまま静かに眠っていた。

医者……、医者を呼ばないと。思ったより深いケガだったに違いない。傷口を縫ってもらえば大丈夫なはずだ。

私はルースの部屋を飛び出して、宿の人がいる部屋に駆け込んだ。

「すみません、お医者さんを呼んでください!」

ノックもせずに飛び込んできた私に、宿を経営している老夫婦は目を丸くしていた。

「どうしたの?」

おばあさんが声をかけてきた。

「あの、ケガをしているんです。血が止まっていなくて。だからお医者さんを」

「ケガってあなたが?」

「いえ、私じゃなくて一緒にいた……」

「あぁ、あの若者か」

おじいさんが答える。

「獣に襲われたんです。その時の傷が」

「獣?」

「この村に来る途中にあった森で……」

私がそう答えると、夫婦が顔を見合わせた。

「とにかくお医者さんを呼んでくれませんか?」

「……この村には医者がいないんだ。隣の村まで行かないと」

「そうなんですか? じゃあ、私が呼んできます」

「いや、それもムダになるかもしれない」

おじいさんの表情が険しくなった。

「……どういう意味ですか?」

「獣に襲われてケガをしたって言ったけど、咬まれたのか?」

「いえ、直接ケガを見た訳じゃないから分かりません。爪で引っかかれたのかもしれないし」

「とりあえず、その人の傷を見てもいいか?」

「え? は、はい」

私達はルースの部屋へと大急ぎで戻った。

ルースの左腕に巻かれている包帯をそっとほどく。

ランプの灯りをあて、3人で覗き込むように傷を確認した。

「やはり……」

おじいさんが小さく呟く。

そしてあらかじめ用意してあった薬を塗ると、手際よく新しい包帯で巻きなおした。

「ちょっといいか?」

私達は今度は廊下に出た。

「あの、傷って深いんですか? あまりそういう風に見えなかったんですけど」

ルースの左腕には小さな傷が何箇所かついていた。爪とかで引っかかれたような痕ではなく、牙で咬まれたような傷だった。あまり大きい傷ではなかったから少しだけ安心した。

「傷自体はそんなに深くない。だが、問題があってな」

「問題?」

「獣に襲われたって言っていたな。その中に目の色が少し変わった獣はいなかったか?」

おじいさんが何か考えながら言ってきた。

目の色が変わった獣……?

「ごめんなさい。私は逃げるのに精一杯でどういう獣だったかなんて分かりません」

「……そうか、無理もないな」

「あの、その目の色が変わった獣が何か関係あるんですか?」

獣にもいろんな種類がいるし、多少目の色が違ったところで何か影響があるとは思えない。

「あの若者、ルース……さんだったな。特殊な獣に咬まれたんだ。だから出血が止まりにくい」

「え?」

「普通だったら、とっくに出血は止まっている。だけど稀にいるんだ。群れを統率するリーダーのような獣が。そいつは唾液に変わった毒というか成分が含まれているらしく、咬まれると出血が止まりにくい」

「血が止まらないんですか? ずっと……?」

ルースの青白い顔が目に浮かぶ。

「いや、そうじゃない。いつかは止まる。だが、早めに手当てをしないと出血が多すぎて危険な状態に……」

「医者を呼んできます」

私はおじいさんの言葉を遮って歩き出した。一刻も早く医者をつれてこなければいけない。

「待ちなさい! 医者を呼んできても意味がない。特別な塗り薬が必要だ」

「なら、その薬を取ってこないと。医者がいる隣の村にはあるんですよね?」

「……いや、ないだろう」

おじいさんが表情をしかめながら言う。

「なんでですか!?」

私は問い詰めるように聞き返してしまった。

「“特別な塗り薬”と言っただろう。どこにでもある薬ではない。それなりに大きい町じゃないと……ない」

「だったら、その大きい町まで行って私が取ってきます」

「落ち着きなさい。今、何時だと思っているんだ? 外は暗いし、雨風も強い。その薬がある町までも結構距離があるんだ。あんたが無事にたどり着けるかどうかも怪しい」

「で、でもこのままじゃ……」

「あの人は分かっていたはずだ。自分がどういう状況にいるかを。だから静かに寝ているんだよ」

おじいさんは目を少し伏せながら言った。

「どういうことですか?」

「薬が手元にない場合、無理に動くと出血が酷くなるから、静かに寝ているのが一番いいのよ」

おばあさんが諭すように言ってくる。

それは、そうかもしれない。ケガをしている人を動かすのはよくない。だったらやっぱり私が薬を取って来るのが一番いい方法なんじゃないの? と考えてしまう。

「いいかい? 夜が明けても出血が止まっていなかったら、私が急いで薬を取ってこよう。あんたが行くより、私が一人で行ったほうが早い」

「……それまで待っているしかないんですか?」

「言う事を聞きなさい」

おじいさんにピシャリと言われて私は黙ってしまう。

こんな雨風の中、薬がある町まで一人で行ける自信は……ない。アクアに乗ったとしても、こんな真っ暗闇の中ではとうてい走れない。おじいさん達の言うとおりだ。

「……わかりました。あの、ルースの傍についているのは構わないですよね?」

「それは大丈夫だ。でも、あんたも疲れているみたいだし、ベッドで休んだほうがいいんじゃないのか?」

「眠くなったらちゃんと寝ます」

「そうか」

「すみません、騒いでしまって……」

私は頭を下げた。

「いいのよ、気にしないで。あんなに血を見てしまったら気が動転するのも無理はないわ」

おばあさんが私の肩に手を乗せながら言ってくれた。温かい、な。

「ルースさんならきっと大丈夫だ。体力もありそうだし、朝までには出血も止まるだろう」

おじいさんは励ましてくれた。

「そう、ですね。ルースは普段から鍛えているし、きっと……」

私は二人を見ながら無理矢理笑顔を作った。

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