青の追憶 66

タクシーを降りて、目の前の表札を確認する。そこには“KANZAKI”とローマ字で書かれてあった。

ここ……でいいんだよね? 周辺をキョロキョロと見回して、改めて家を見る。

ハワイで一般的な家と思われる、白い壁に明るい色の屋根の一軒家があった。家の周りには青々とした芝生が広がっていて、玄関に向かって舗装された道が伸びている。えーと、神崎さん家は全員日本人だから誰が出ても日本語で大丈夫だよね。そんな事を思いながら私は玄関のブザーを鳴らした。

少しドキドキしながら待っていたけど、家の中から誰かが出てくる気配がない。

「留守かぁ。そうか、今日は平日だから仕事とかでみんな外出かもな」

一人で小さく呟いたあと、ちょっと迷ったけれど、少しだけ待ってみることにした。しばらくしたら誰か帰ってくるかもしれない。1時間くらい待って、誰も帰ってこなかったら諦めてホテルに戻ろう。そう決めた私は、玄関前の段差に座り込み、しばらく時間を潰すことにした。

30分くらい経っただろうか。往来の人々や車を眺めていたら、一人の男の子が芝生を横切って走ってきた。

玄関前に座っている私を見て、不思議そうな表情をする。

「僕の家に何か用があるの?」

日本語だった。私は英語で話しかけられなくて良かった、と少し安心しながら、

「私、神崎 航さんに会いにきたんだけど、今はお出かけしているのかな?」

と、同じく日本語で返す。

「もうすぐマリンと一緒に帰ってくるよ!」

「マリン?」

すると、大きい犬が猛スピードで駆け込んできた。男の子に向かって勢いよく飛びつく。

「マリン!お帰り〜」

「コウタ!!何、先に帰っているんだ!」

……嘘。

「だって、喉が渇いちゃったんだもん」

「何が、喉が渇いちゃった、だ。ってアレ?」

男性が私を見た。

「あ、この人、お兄ちゃんに用事があるんだって。じゃあ、僕はマリンを裏庭に連れて行くから。マリン、おいで!」

男の子と犬はじゃれ合いながら走っていってしまった。

「退院したんだな。もう大丈夫なのか?」

私は何も言えなかった。ただ、呆然と目の前の人を見上げていた。

声を聞けば聞くほど、あの人を思い出す。瞳の色も髪の毛の色も顔立ちも違う。だけど、この声は……ルースそのものだ。

似ている声を聞くだけでこんなに動揺するとは思わなかった。

ルースが言った最後の言葉が頭から離れない。

「大丈夫か?」

「え? す、すみません」

私は慌てて立ち上がろうとした。

「座ったままでいいよ。退院したばかりなんだろ」

男性はそう言いながら、私の隣に座った。

「あ、あの。神崎 航さんですよね?」

「あぁ」

「挨拶に来るのが遅くなって申し訳ありません。助けていただいて本当にありがとうございました」

私は頭を深く下げた。

「いいよ、そんな丁寧に言わなくても。あんたのお母さんから、何度もお礼言われたし」

「で、でも、いろいろとご迷惑をかけたと思うし」

「倒れている人を病院に運んだだけだ」

少しだけぶっきらぼうな感じで言う。話し方もルースに似ているな……と、私は思った。

「あんたさ、行方不明になっていたんだろ? あの山で俺に発見されるまでどこにいたのか覚えていないのか?」

「覚えていません」

嘘だった。

全部、覚えている。ハヴィスの街で働いたこと、アルヴィナの各地を旅したこと。セイディさんやウィリー、いろんな人と出合ったこと。そしてルースとのことも全部覚えている。忘れられるわけがない。

「本当に?」

「……はい」

私はうつむいた。

「俺、あんたを見つけた日、すげー不思議な夢をみたんだ」

神崎さんはいきなり話し出した。

私は地面を見つめながら、話に耳を傾ける。

「俺は、どこかの外国で家族と暮らしているんだ。姉貴とコウタみたいな子供がいた。名前は外国人の名前だけど。その夢であんたにそっくりな女が出てきた」

「え?」

その言葉に驚いて顔を上げると、神崎さんと視線がぶつかった。

「名前も一緒」

「……なんで私の名前知っているんですか?」

「あのなぁ、あんたを病院まで連れて行ったのは俺なんだから、名前くらい分かるさ」

「あ、そうですね」

「さっきの話に戻るけど、その夢の中で俺はその女と旅に出るんだ」

「え……?」

「何か知っているって顔だな?」

神崎さんが少し笑う。

「その夢さ、やけにリアルなんだ。すべての出来事が俺の視点だったから、実際に俺の身に起こっているような感じだった」

そこで一瞬沈黙が流れた。

「その夢の中で、俺は……"ルース"って呼ばれてた」

「……嘘」

声が掠れた。

「嘘じゃねぇよ。夢の中に出てくるあんたにそっくりな女を"サラ"と呼んでいたんだ。サラってあんただろう?」

「……」

私は驚きから言葉が出なかった。

「で、まぁ長い映画を見ているような感じだったんだけど、目が覚める直前に青い目をした男が出てきたんだよ。俺は直感でさ、あぁ、今までの話は全部コイツの話だったんだって分かった。で、そいつは最後にこう言ったんだ。『サラを助けろ』って」

青い目をした人……。私の脳裏に浮かぶのはたった一人だ。

「夢だって分かっていたけど、妙に気になったんだ。普通、夢ってなんとなくしか覚えていないだろ? でも、すげーリアルに覚えてた。だからなんか落ち着かなくて、気分転換に外を歩いた。あの山に登ったのもなんとなくだ。いつもは滅多に行かない。でも、あの山であんたが倒れてた。夢の中に出てきた女が実際にいた。しかも名前も一緒だ。何かあると普通は思うよな?」

何も言わない私の反応を見ている。

「自分でも変な事を言っていると思う。その夢、アイツの話だって分かっているんだけど、それと同時に俺の記憶の一部みたいにも感じた。あんたがいきなり現れた事、セイディという名前の姉貴と甥のウィリー、一緒に暮らすことになった事になって旅に出た……。全部知ってる」

本当なの? この人、ルースの記憶があるの? 

眩暈がする。頭の中が真っ白だった。

「あんたさ、結構ヒドイよな」

神崎さんは遠くを見るように呟いた。

「え……?」

「あの朝、一人で行っただろう? あんたがいなくなった後、あいつは結構荒れてた」

私がアルヴィナから消えた後の記憶もあるのか。

「……あっちの世界は……、どうなったんですか?」

「さぁな」

「言えない、ですか?」

「あんたはここに戻ってきたんだから、もうアルヴィナの事は気にしなくていいんじゃないのか?」

「そんな風には思えません。本当なら私はここに居ないはずなんです。なのに何故かこっちに戻ってきているし」

そう、目覚めてからずっと気になっていた。

本来私は生贄となる存在だ。なのに、ほぼ無傷でこっちの世界に戻ってきてしまったという事は、生贄としての役割を果たせていなかったのでは? と思う。アルヴィナの国はあの後も天変地異が続いていたのだろうか? 

私の深刻そうな表情を見て、神崎さんはため息をつきながらも教えてくれた。

「アルヴィナは無事だ」

「そう、ですか。……良かった」

心の底からホッとした。私の大好きな人達が暮らす国。みんな幸せに暮らして欲しい。

「あの、あの人は無事なんですよね?」

「さぁ、どうかな。ただ、あいつの記憶が俺にあるってことは、なんとなく想像つかないか?」

「あ……」

よく考えれば分かることだ。こことアルヴィナでは時間の流れが違うのだ。私がいなくなった後、アルヴィナではどれくらいの時が流れたのだろうか? 

そっか……。ルース、いないんだ。ハヴィスの街にも、アルヴィナの国にも。

ハワイで目覚めた時から分かっていた。もうルースとは絶対会えないという事は。

あの後、ルースはどうやって過ごしたのだろうか。それを知るすべはもうない。でも、確かについ先日まで一緒に居たのだ。だから姿も声も雰囲気もすべて覚えている。

「サラ」と照れくさそうに呼びながら、抱きしめてくれたルースを思い出す。

また、いつかね。と言いながら二度と会う事は出来ないと分かっていた。

だけど、ルースの声が聞きたかった。もう一度だけ「サラ」と呼んで欲しかった。

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